〝絵が描けないから小説を書く〟でもいいじゃないか

 

同人歴は数年ですが、小説を書き始めて二十年以上経つわたし(@kbr_oti)です。

今日は、
最早古来から言われているんじゃないかと思われる『絵を書けないから小説を書く』論について。

 

「同人誌書いてます」と打ち明ければ「すごい!絵書けるんだ!」と言われる確率は八割に昇ります。

同人誌と言えば〝漫画〟

世間的には当然、恐らく同人界隈的にもこれが常識。
実際私も、自分が本を出そうと思うまではそう思っていました。
同人誌とは絵や漫画の世界。小説なんか出る幕がないとまで思っていた。

 

目次

自分が小説を書き始めた理由

わたしが小説を書き始めたのは小学生の頃。
漫画もアニメも何でも見るけれど、それ以上に活字が好きだった。
読むものは圧倒的に活字が多く、作文や読書感想文なんかも苦痛じゃない。

初めて出会った二次創作も小説。
当時は二次も漫画よりもイラストなんかが多くて、
物語を作ることに飢えていた私は迷わず文字書きを選びました。

 

それは今でも後悔していないし、後悔するようなことでもない。
でも年齢を重ね、成長してから思ったことは沢山あります。

例えば、書きたい内容があったとする。
それらを頭で思い浮かべたとき、全てアニメーションで再生されてしまいます。
光景も、動きも、姿も、声も、言葉も――

私は他の文字書きさんたちがどんな形で小説を書いているか知りませんが、こういった形の方は比較的多いと認識しています。

人は映像的なインスピレーションから作品を生み出す。

脳の作りの問題だと、どこかで読んだ記憶があります。
ですが中には全てを文字だけで処理する人もいるんだとか……
そういう人が文字書きに向いているのかどうかは分かりません。
分からないけれど、羨ましいなと思ったことはあります。

 

漫画を描こうと思った時期もある

自分の頭の中で繰り広げられる作品を、
文字ではなく漫画で起こしてみようと思った日もありました。
だって映像は私の中にあるのだから、それをそのまま描けばいい。
彼らは私の頭の中で動き、喋り、次々に物語を展開させていく。

同じことをなぞればいいと思いました。
だってその方が楽だと思ったし、早いと思ったんです。

場所を説明する必要もない。
キャラクターの姿形を説明する必要もない。
そこの空気を、匂いを、雰囲気を、全てを文字にする必要はない。

決して文字にすることを苦痛に思っていたわけじゃないです。
小説を書くという行為が嫌いになったわけじゃない。

でも視覚的に自分の創作物が一目で分かるような代物になったら、それはとても格好良くて素敵なものになるだろうと思っていました。
絵師さんたちへの憧れにも近かったです。
わたしも同じようにやってみたい!できるなら絵描きになりたいとすら思っていました。

 

ですがまぁ、当然のように無理でした。

無理に決まってますよね。はい、舐めていました。
十代の私は本当に愚かで、浅はかだった。

もちろん、ここから絵描きにシフトできる人もいるんでしょう。
文字書きから絵描きへ、絵描きから文字書きになれる人もいる。

 

ただ私は無理だった。
最初から絵で頑張っている絵師さんたちには失礼な話かもしれません。

でもこうして挑戦したこともあった。
した結果、無理だと悟って小説を書くという行為に戻ったのも事実。

だって創作したいもの。
創作したいという気持ちは絵だろうが小説だろうが一緒で、そこまでは捨てられなかった。

媒体がなんであれ、それだけはホンモノです。

 

絵を書けないから小説を書く

小説を書き始めた理由を置いて、わたしは「どうして文字書きなの?」と聞かれると「絵を描けないから」と答えています。
ですがそれはマイナスな感情からくる答えではありません。

絵にする方が楽と思っていた時期もありましたけど、挫折してそれがどんなに大変なことか分かりました。

絵師さんには絵師さんの、
文字書きには文字書きの、表現の仕方や苦悩がある。

むしろ両方経験できて私自身の幅が広がったのでは???なんて思ったりする。

でもじゃあどうしてそう答えるのか、と聞かれれば
絵描きになりたいと思った過去があり、挫折している過去があるからでしょう。

 

あのまま上手いこと絵が描き続けられていたら、私は今頃文字書きじゃないです。
絵師さんには今でも憧れる。
ないものねだりに近い感情なのかもしれません。羨ましいと、今でも思う。

だけれどやりたかったことに挫折して、
小説を書くという行為に一心集中できている現状を私は最高に良いと思っています。

 

昔ある字書きさんが、他の字書きさんが「絵が描けないから小説を書いている」と言っているとガッカリするなんて言っているのを聞きました。
その方は字書きである自分自身に誇りを持っていて、一生懸命やってきているのを、そう言われることによって否定された気分になっていたようです。

『〇〇ができないから××にしました。』

これは絵と小説じゃなくても当てはまりますよね。
部活動だったり、受験に対してだったり、就職活動だったり…………

 

無理だと思ったことを諦めて、それでも前に進もうとすることは悪いことですか?

人は最初に希望したこと以外を、実践してはいけないのですか?

 

今やっていることを頑張ってるならいいじゃありませんか。

 

私はそう思います。

例えば有名な小説家である西尾維新さん。
彼は漫画家志望でしたが、絵が上手く描けないからという理由で小説家になりました。

世界的に有名なプロテニスプレイヤーの錦織圭さん。
彼はサッカー選手になりたかったそうですが、上手くならなくてテニスを始めました。

 

Aさん
絵が描けないから小説ってどう思いますか?

 

それで頑張れるならそれでいいじゃん!

 

特に絵を描けないから小説とか、小説を書けないから絵とか、
恐らくこの世界には有り触れたことだと思います。

別にいいんですよ。自分がこれならと思って頑張れる方法を取れば。

 

その中で自分がどこにいくか、どこを目指すか考えればいいと思います。

 

私は絵を諦めて文字書きをやってます。
実はその中でも色々あって、一次創作ができないから二次創作をやっている性質だったり(小声)

でも有り難いことに、二次では大分評価して頂けるようになりました。
そして最近原点に戻り、一次をやってみようかなと駄文を連ねている次第です。

 

やりたいな?やってみようかな?

そう思ったことを一生懸命やれるのなら、何ができなかったとか何を諦めたとか、そんなのどーーでもいいんですよ。

 

だってそんなのは、絵や小説じゃなくとも、日常生活の中で溢れている。
そこでどうしても諦められないと戻るのもいいでしょう。

 

自分がこれだと思ったらそれをやる。

 

それくらいで、私はいいと思うのです。

 

 

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